新中学1年生から地元区長さんまで多様な方々が7人お集まりくださいました。ボクは地域の諸活動において、「子どもを中心にして考える」ことが大切だと思うので、春休みの貴重な時間に参加してくれた新中学1年生のことをとてもうれしく思いました。
解説してくださった萩原宮司さんはもちろん、教員を退職された川俣正英先生と富岡彰先生にも詳しいお話を伺いました。心より感謝申し上げます。
ある参加者が「今日は本当に楽しかったね!またやろうよ!」とおっしゃいました。学ぶことは有意義で、すっごく楽しいことだと思います。これからも地元の歴史について学ぶ機会をつくっていきたいです。
古墳については、市教育委員会にとても詳しい学芸員さんがいらっしゃいますので、講師としてお呼びするような機会をつくりたいです。
また、JR岩瀬駅等の歴史に詳しい方がおられて、「岩瀬駅には知られていない秘密がいっぱいあるんだよ。探検しないかい?」という提案もいただきました。
ボクは、地域おこし協力隊はそういうことに全力をあげることが重要だと思います。どうでしょう?ご意見ください!
これからも、ともに楽しく学んでいきましょう。
ボクが一番うれしかったのは、以下の京都新聞の記事が保存されていたことです。どのような経緯で壁画が見つかったのかが非常に詳しく書かれています。写真を載せることが出来るのかどうか京都新聞に確認しますが、おそらく「引用」の範囲で一部だけ載せるのは可能だと思いますので、本当に一部だけ引用します。京都新聞様々ですね!これが知りたかった(*^_^*)
-------京都新聞の記事引用開始--------【1999年(平成11年)5月7日付京都新聞】「民家から出た石に絵があるようだ」。1983年8月初旬の夕刻、茨城県岩瀬町の文化財保護審議委員の萩原義照さんへ、区会長から連絡があった。懐中電灯を手に町内の農家を訪ねた萩原さんは驚いた。同家の敷地内にある7世紀後半ごろの方墳「花園3号墳」(一辺約二十二メートル)の墳丘が削られて通路になり、露出した横穴式石室がほぼ解体されていたからだ。石室の石材の一部は庭石や石灯ろうになっていた。地主は「屋敷の出入り口を広げたくて壊した。この古墳は昔に盗掘され、価値がないと父親から聞いていたのに」と困り顔だった。-------京都新聞の記事引用終了--------
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